創業物語

人は変わることが出来ない。そう思っているあなたへ

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今から12年前、まだ高校生だった頃の私は信じられないほど、何も考えていない少年でした。

私は小学校3年生からバスケを続けていて、高校に入ってからも部活三昧の日々。バイトをしたこともないほどでした。
高校3年生の夏、部活を引退。同じチームのみんなは進学に向けて、勉学に励むことになりました。

当然、私も勉学に励まなくてはならない時期でした。
しかし、私は遊びたかったのです。
バイトをしてみたかったのです。
勉強なんてこれっぽっちもしたくありませんでした。

なので、髪の毛を染めて思いっきり友達と遊び呆けました。

「楽しい!!」

朝練、昼練、放課後練というキツイ日々から解放された私は遊びに夢中でした。

当然ですがそれも長くは続きません。
一緒に遊んでいた友達も、みんな進学に向けて塾に通い始めたのです。
それでも私は勉強なんてしたくありませんでした。

なので、私は自分の成績で推薦が取れる自動車整備の専門学校へ進学を決めました。
当時、兄が車をいじっている姿を見ることが、楽しみのひとつだったので、きっと好きなのだろうと思ってしまったのです。

今思えば、車が好きなのではなく、好きなことをやっている兄を見ることが好きだったんでしょうね。
でも、当時はそんなことには気づいていませんでした。

推薦も通り、全く勉強しないまま卒業。そして、専門学校に通い始めて1週間ですぐに気が付きました。

「車のこと好きじゃない」
当然、何も考えていなかったので、親に学校を辞めたいと申し出ました。

しかし、その願いはすぐに却下。
親からしたら当たり前ですよね。

入学の時点で数百万もかかっているにも関わらず、辞めたいだなんて。
しかし、そんなことは当時の私には全く関係ありませんでした。

「金なんか払ってやるから辞めさせろ!」
「ダメ。今辞めたら、あんたはこれから先もずっとやめ癖が付くようになるわよ」
「それでも、いいから辞めさせろ!」
「とにかく、ダメ。もう少し行きなさい」

何度も何度もぶつかっては反対され続けていきました。
私は辞めることも出来ないまま、学校に通いました。

しかし、つまらないものはつまらない。
全くやる気のない苦痛の学生生活でした。

当時の学生は卒業までの2年間の間に無遅刻無欠席を守る。欠席時には必ず連絡を入れる。それが当たり前の風習となっていました。そんな中、私は容赦なく遅刻や欠席を繰り返しました。特に理由もなく、欠席。そして、その連絡もしない。

卒業までに私は30近く遅刻や欠席をしました。
それだけでなく、テストも真面目に受けていませんでした。
通常、テストに不合格だった場合、再度勉強をし直し、再試験を実施し、合格点を取ります。

その再試験もほとんどの方が、受けないほど、皆真面目です。しかし、私はダントツで再試験を受け続けました。

そして、あろうことか卒業間際の再試験の日。
私はその試験すらも、受けることを放棄し、サボってしまいました。

更に、2年生になれば、皆整備士として就職の内定を獲得します。私が通っていた整備の学校では内定率なんと99%。本当に一部の人以外はきちんと内定がいただけるのです。

私は整備士にはなりたくない。という理由で、特例で営業職に応募。しかし、呆気なく不採用。担当してくれた人事の方は優しく声をかけてくださり、

「1年間整備士として働いてくれたら、営業にしてあげるから、うちに来なさい」
と言っていただきました。

それでも私は整備士にはなりたくない。
そう言い切り、その話を断ってしまいました。

特に理由もなかったのです。
ただ思った通りにならなかったことが嫌だっただけ。

ロクでもない人間だったのです。

そして、内定率99%の内定しない1%の生徒となってしまいました。
そんな矢先の再試験の放棄。

「そんな生徒は今までにいない!
内定もしない!再試験にも受けない!遅刻や欠席も多い!そんな奴には卒業の資格なんてない!留年させろ!」

私が再試験を放棄したころ、全く異例の緊急職員会議が開かれ、担任の先生はこう言われたそうです。

しかし、先生は最後まで私のことを見捨てず、守り続けてくださり、なんとか再々試験を受けさせていただけることになりました。

「お前これだけは絶対サボるなよ」と念を押され、やむなく試験を受けることに。

今では大変感謝していますが、当時は感謝もできず、何もわかっていませんでした。
そして、試験にも合格し、無事卒業。

卒業した時の成績は1位でした。

下からですけどね。
卒業前の最終試験時は下から5番目だったのですが、卒業の時には下4名が退学し、私がビリになっていたのです。

こうして私はその道では名門の学校をビリで就職もしないまま、卒業しました。

そして、12年後の今。
先のことなど何も考えていなかった少年はあれもやりたいこれもやりたいと日々、楽しい未来を想像中。

あれほど嫌いだった勉強も今では、何か学んでいないと落ち着かないほど、勉強好きに。更に、ファンサンエブリーというショップを立ち上げるまでになりました。

人はきっかけがあれば変わることができるのです。私は自分の人生で、そのことを学びました。

変わるきっかけとなったメンターと出会った話はまた後日にでも。

なんか嘘っぽい話に聞こえました?

信じられないですよね。

いや、僕自身も信じられません。

でも、高校生の時はこんなだったんですよ。

それが今では、こうなることができました。

人はいつからでもどんな時からでも変わることができます。学年ビリでサボリ魔だった私が変わることが出来たのですから、きっとあなたにもできます。
ともに夢を叶える努力をしていきましょう。

本日の教訓

■親や先生の保守的な意見は無視しても良い。しかし、自分のために親身になってくれた意見には耳を傾けること。

親や先生は保守的な視点で意見を言ってくることが多い。これは無視しても良い。しかし、あなたのことを想って、真理をついた意見を言っているときには耳を傾けよう。私はそのおかげで人生が救われた。そして、心から感謝をしよう。

■やりたいことをやろう。

やりたくないことをやり続けるのは、かなりキツイ。人生は楽しく生きるものである。つまらないことをし続ける人生ほど、辛いものはない。やりたいことをやろう。

■人はいつからでもどこからでも変えることができる。

私は変わることが出来ない。そんな思い込みは今日この瞬間から捨てよう。あなたは変わることができる。学年ビリだった私が変わることが出来たのなら、あなたにも出来るはずだ。このストーリーを見て、勇気を持とう。

そんな私がここまで変わることが出来たのは、人生の本質を見極めたからだ。その全てをこの本の中に託したので、ぜひ人生を変えるきっかけとなってほしい。

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