心の在り方

合わないなら辞める

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「あの人とっても嫌な人ですけど、一緒に頑張りましょうね!」
入社したての麻依を励ましてくれたのは一緒に入った同期の美香。と言っても麻依と美香は年齢も違えば、職種も違う。共に中途採用だが、専門職として一途にプログラマーをしている美香の方が年齢は一回り若くても、仕事としては先輩に近い。一方の麻依は産休明けのパート社員で、社会復帰したのは実に四年ぶりだ。以前は美容師の仕事をしていたが、新たな仕事も体験してみたいと全く未知であるコワーキングスペース受付の仕事を開始した。
もともと人と触れ合うことに抵抗のなかった麻依だったので、その点に問題は何もなかった。だが、いくら興味本位だったとはいえ、プログラミングやアプリ制作といった類の話について行くのは至難なことであった。しかし、受付をするとなると少なからず、そういった質問がお客から浴びせられることとなるし、答えられないとなると、店のイメージの低下にも繋がりかねない。そんなわけで、素人同然の麻依は先輩受付係にこってりと搾り取られていたわけである。
そこへ美香がやって来て、こっそりと励ましてくれていたのだ。
「私、今までずっとプログラマーをやっていましたけど、聞いてもわからないこと多かったですよ?それにあの人の教えは厳しすぎます」
唯一の救いは麻依がパートタイムのため、時間が短期であることであった。麻依は午前中の忙しい時間しか働かない。お昼で帰るころに美香と少し顔を合わせるのだが、それ以外顔を合わせることは滅多にない。美香はそのほとんどをプログラマーとしてプログラミングをしているか、セミナー講師として教えているかのどちらかだ。
麻依は帰るころに美香と顔を合わせるほんの少しの時間が楽しみだった。解放感ということもあるが、同志の存在を確認できるだけで励まされるからである。だから、麻依はどんなに怒られて落ち込んでいてもいつも笑顔で美香に別れを告げていた。
美香も笑顔を見せるのだが、時より憂鬱そうな顔を見せることもあった。
とはいえ、その場を笑って立ち去っても麻依には深刻なダメージが残っている場合がある。こんな時は決まって夫に話を聞いてもらうのだ。当てにならない夫に。
麻依が今日はこんなことがあったと夫に伝えると待ち構えていたかのように冷たい言葉が返ってくる。
「そんなの気にする必要ない」
「嫌なら辞めればいいじゃん」
夫には共感という言葉がないのだろうかと疑いたくなるほどの冷たい言葉だ。とにかく話を聞いてもらいたいのに、夫はまるで役に立たない。これだから理系の男は。本当は頭がいいくせに。こうなることがわかっているなら話さなければいいって?それが出来ていれば誰も苦労はしない。
だから、麻依は年下でも気さくに励まし合える美香が好きだった。
ようやく仕事にも慣れてきたころ、麻依は久しぶりに美香と再会した。美香もその日は半日で仕事が終わる日だったようだ。二人は急遽お茶をしにカフェに立ち寄り、話し始めた。
麻依は美香のおかげで仕事が続いているという話をした。
「あなたのおかげで続いているようなものなのよ。あなたが明るく話しかけてくれるおかげでね」
「それはよかったです。でも、私は最近そのことで悩んでいるんです」
「えっ?そうなの?そのことって?」
とても深刻そうに話す美香を心配するように麻依は聞いた。
「私、先輩と食事に行くのが苦手なんです。あの時間がいつも辛くて。何話したらいいのかわからないんです」
美香は見るからに落ち込んでいる。
「今のままのあなたで十分じゃない?そのまま気さくに話せばいいのよ。他の先輩って言ったって私と歳はいくらも変わらない人ばかりなんだし」
麻依には美香が何で落ち込んでいるのかがわからなかった。
「私、実は結構根暗なんです。普段家に帰ってもテレビはつけませんし、ゲームもしません。小説や漫画を読むことと映画を観ることが唯一の趣味で、それ以外はほとんど興味ないんです。服装も。
先輩方とは共通の話題というのがこれといってないんですよ。仕事の話なら出来ますけど、食事中はプライベートな内容がほとんどですし。先輩方はテレビやゲームの話が多いですから。だから、一緒にいても何話していいのかわからなくて辛いんです。それがだんだん気まずくなってきて、仕事中にも気まずさを感じるようになってしまいました」
「でも、私とは普通に話しているじゃない?」不思議そうに麻依は聞いた。そして、こう質問した。
「私と先輩とで何か違うの?」
「麻依さんは同期入社ですから、話しやすかったんです。先輩方はどこか話しかけにくて」
「そお?私にはわからないけど、それは歳が近いからなのかな。美香ちゃんもさ、きっとそのうち慣れて話せるようになるよ」
美香はそうですか。と頷いたが、納得はしていない様子だった。麻依は帰る途中、その場ではそのうち慣れてくるよなんて言ったけど、もっと良い言葉を掛けてあげればよかったかなと思っていた。
夕飯を食べ終え、麻依はこのことを夫に報告した。
夫の態度は相変わらずだった。
「そんなもんほっときゃいいだろ。麻依の言う通りだよ。そのうち慣れる」
「そういうわけにもいかないのよ。私は美香ちゃんのおかげで仕事を続けられるんだから」
「う〜ん、まっ、そのうち慣れるだろ。それよりさ、このビジネス小説面白いから読んでごらん?」
「いやよ、私それどころじゃないんだから」
夫は本当に役に立たない。私がなんとかしてあげなきゃと思うが、いい案が浮かんでくるわけでもなかった。
今の麻依には美香が慣れてくれることを望むだけだった。

それからしばらくすると、先輩たちと楽しそうに外出する美香の姿を発見した。その笑顔にはぎこちなさこそ感じたものの上手くやれているようだった。
その様子に麻依はほっと胸を撫で下ろした。
しかし、またしばらくしたある日、今度は美香の様子がおかしいことに気がついた。
前回同様、先輩たちと話しているときは楽しそうに笑うのだが、会話が美香から別の人に移るとすぐに笑顔が消え、うつむいてしまうのだ。その表情には沈んだ様子が伺える。
麻依は次の日の朝、出勤するとすぐに美香に声を掛けた。
「今日のお昼、私と食べに行きましょう」
それから昼になって麻依たちは職場を出た。
「最近その、調子はどう?」
「あっ…その様子だと丸わかりのようですね…私、努力したんですけど疲れちゃって」
「何に疲れたの?」
麻依は聞いた。
「もう相手に合わせるの嫌になっちゃったんです。私、退職します」
「えっ…」
麻依はおもわず言葉を失った。
いや、呆然としている場合じゃない。なにかを言わなくては。
「決断するのはまだ待って!私に一日だけちょうだい!」
そう言ってその場は引き止めたものの、あの様子では本当に明日までになんとかしなくては退職を決めてしまう。
とはいえ、考えなんて何もない。その場の思いつきで言ってしまっただけだ。どうしよう。なんとか考えなくては。
家に帰っても麻依は悶々と考え続けたが、これと言った答えはまだ見つからず、時間だけが過ぎていった。
「なんだ?今日のご飯はやけに手抜きだなあ」
仕事から帰宅した夫が開口一番こう口にした。
「今日はちょっとそれどころじゃなくてね。あの子今大変なのよ」
「あの子?ああ、こないだ話していた子のことか。ほっとけばいいだろう。そのうち慣れるって。夫のことよりもその子の方が大事になるとはね〜」
「当たり前じゃない!美香ちゃんは私の恩人なのよ!でも、どうしたらいいのかしら。あの子退職を決めちゃったみたいなの」
麻依は美香と話した内容を夫に伝えてからこう言った。
「もし、私がそうなったらどうすればいいのかしら?私も美香ちゃんと同じく慣れることができなかったら」
「仕方ないなあ。僕の夕飯がかかっているからなあ」
もちろんその子によってしまうけど…そう言ってから夫は話し始めた。
「慣れてくる人もいるけど、慣れない人もいるだろうね〜。話を聞くにその人はきっと後者。世の中に生き辛さを感じているタイプの人間なんじゃないかな。結局はさ、そういうのは自分で気がつくしかないんだと思うけど、そういう人は、というか全般的に言えるのかもしれないけど、人に合わせるなんて行為が難しいよね」
夫は少し考えこんでからまた話し始めた。
「よく考えてごらん?例えば今僕がビジネス小説が好きだからといってそれをあなたに話す。あなたにも読んでほしいと。あなたはそれをあまり好んでいない。でも、話を合わせるためだからと思い切ってやってみる。やってみるけど、当然興味がないんだから楽しくない。楽しくなければ続かない。話をしていてもそんなに乗り気になれない。
となれば、結局そのうち限界がきて、何かしら嫌になる。継続することか友でいることか。そしてね、相手は話が合えば楽しいけど、結局のところあなたの貴重な時間は失われるってわけさ。だったらね、はじめから諦めなさい。はじめからコミュニケーションを取ることを諦める。その分、自分のために時間を使うようにするんだ。何、話が合わなくたっていいじゃない。他に人なんていくらでもいるし。僕なんて初めから話が合わないってわかってるから人に話しかけやしないよ。その子もこれくらい開きなおれるといいんだけどね」
「確かにその通りかもしれない。あなたにいくら言われても興味がなければ、読もうとも思わないわ」
「でしょ?所詮人と人とは合わないことの方が多いんだよ。だったらはじめから合わせようとなんかしなければいいんだ。我を貫き通している方がよっぽど楽で楽しいよ。
友達や先輩との交流なんてなんの意味もないもの。つまらないことは積極的に回避するべきだね。もちろん受け入れるかはその子の性格によるけど」
さすがに言い過ぎなところもあると思ったが、その考えにも一理あると麻依は感じた。
翌日になり、麻依はまた美香をランチに連れ出すとこのことを話した。
「開き直るですか。思えば、今まで一度も自分をさらけ出したことがなかったような気がします。引かれてしまうんじゃないかって。でも、このままでいることも辛いですね。どちらも辛い選択であるのなら…私は麻依さんを信じます。時間はかかるかもしれませんけど…」
「美香ちゃん!私も応援するから一緒に頑張ろう!」
はじめのうちこそ、開示に遠慮が見られたものの徐々に美香は自分をさらけ出せるようになってきていた。半年もすると、完全に自分をさらけ出せるようになり、それに伴い美香の講座は以前より格段に人が集まるようになってきた。
なんでもバグを発見して、とある巨人漫画に出てくる言葉をもじったセリフが評判らしい。
「駆逐してやる!!この世から一つ残らず!!」
こうやって自分の得意なことを仕事に繋げているのが、先輩方にも好評で前にも増して可愛がられるようになっていた。美香も今度は自分の好きな話をすることができて、楽しめているようだ。
「なあ、あれから時々料理に手が抜かれているのは何故なんだ?」
「それはあなたが私にも優しく接しないからよ!!」
あっ、それと…と麻依は夫に言った。
「私やっぱり受付の人と合わないから辞めてきたわ」
合わないものを合わせようとすることはとても神経をすり減らすことだ。合わせようとすることで辛い思いをするのなら、いっそはじめから手放すことも策である。別に無理して誰かに合わせることなどしなくても良いというわけだ。自
分は自分らしく。これが得策である。
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